下呂温泉(げろおんせん)
Gero Onsen
下呂温泉(げろおんせん)は、岐阜県下呂市(旧飛騨国益田郡)にある温泉。林羅山が有馬温泉・草津温泉とともに、日本三名泉に数えた(ただし、当時は下呂ではなく湯島と表記)ことから、「日本三名泉」と称されていた。
約1000年前の延喜年間から天暦年間の頃に、現在の温泉地の東方にある湯ヶ峰(1,067m)の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。泉効があり、当時から湯治客があったと言われる。
1265年(文永2年)に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である飛騨川の河原に湧出しているところを発見された。このことは開湯伝説における白鷺伝説(薬師如来が一羽の白鷺に化身し、湧出地を知らせたという伝説)として伝わる。湯口の移動により、湯ヶ峰に安置してあった薬師如来像を村里に移動し、温泉寺とした。室町時代に、五山僧・万里集九が草津・有馬とともに天下三名泉として全国に紹介した。1621年には林羅山が著書の中で草津・有馬とともに名湯として挙げている。中根山の山麓に建つ温泉寺は江戸時代の創建と言われる(1671年)。
当時の泉名は「湯島」と言い、その後、湯之島温泉が下呂温泉の別名としても使われた。温泉地は飛騨川の氾濫の度に壊滅的な被害を受けてきたが、その度に復興してきたものの、安政の大洪水で湯脈が破壊されて湧出口を失い、明治時代にわずかに出たものの寂れてしまった。
復活をかけて地元民により大正時代にボーリング採掘が始まり、昭和初期には、高山本線下呂駅開業を見据えて、名古屋の実業家・岩田武七(現・マドラスの創業者)が採掘事業に乗り出し、1931年に湯之島館を開業した。当旅館建物は国登録有形文化財になっている。
「下呂」の名の起源は律令制の時代にさかのぼる。「続日本紀」によれば、776年(宝亀2年)下呂温泉の付近には美濃国の菅田駅と飛騨国大野郡の伴有駅(上留駅)があった。[5]しかし、この2つの駅間は遠い上に道も険しかったため、間に駅を新たに置くこととなり、下留駅(しものとまりえき)を置いた。やがて、下留(げる)と読むようになり、時代が進むに従い音読みする様になり、転じて現在の音と表記になった。
菅田駅は、現在の下呂市金山町菅田、伴有駅は下呂市萩原町上呂にあったものである。
【泉質】
アルカリ性単純温泉
【土産物】
・奥田家下呂膏 – 黄蘗(オウバク/キハダ)、楊梅皮(ヨウバイヒ)などが配合された地元特産の膏薬。奥田又右衛門膏本舗製造。
・朴葉味噌 – 朴の葉に包まれた「ねぎ味噌」。飛騨牛のひき肉入りのものもある。
・栃の実せんべい – 栃の実を練りこんだ煎餅。甘みがあり軟らかいものが多い。
・さるぼぼ – 意味は「猿の赤ちゃん」。赤い服を着たのっぺらぼうの人形。
・漬け物 晩秋から冬にかけて、飛驒特産の「赤かぶら」などを素材とした漬け物類が豊富に出回り、土産物店のほか、地区内のスーパーでも買える。
観光スポット詳細
- 電話番号
- 0576-25-4711
- 住所
- 〒509-2206 岐阜県下呂市、幸田
- 最寄駅
- JR高山本線「下呂駅」
- 交通アクセス
- JR高山本線「下呂」駅から徒歩3分